大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和59年(あ)1448号 決定

本籍

東京都港区虎ノ門一丁目二一番地

住居

目黒区自由が丘三丁目四番三号

会社役員

大鷲清人

昭和一四年三月一二日生

右の者に対する法人税法違反、所得税法違反被告事件について、昭和五九年一〇月八日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を破棄する。

理由

弁護人降旗巻雄、同小川喜久夫の上告趣意は、憲法違反をいう点を含め、実質は事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 谷口正孝 裁判官 角田禮次郎 裁判官 高島益郎)

昭和五九年(あ)第一四四八号

○ 上告趣意書

被告人 大鷲清人

右の者に対する法人税法違反、所得税法違反被告事件について、左記のとおり上告趣意書を提出する。

昭和五九年一二月一五日

弁護人 降旗巻雄

同 小喜久夫

最高裁判所第一法廷 御中

原判決は、国民は法律の定めるところにより納税の義務を負うことを定めた憲法第三〇条に違反しているため、刑の量定が甚しく不当となっており、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

一 原判決は、「本件は被告人がそれぞれ代表取締役になっていた福神商事株式会社の二事業年度及び株式会社福神の一事業年度の法人税について、各虚偽過少の確定申告をなし、右二社の法人税合計二億六九二五万五二〇〇円を逋脱し、また、被告人の所得税についても同様手段により一年分一一一〇万八三〇〇円を逋脱したという事案である」としているが、これは一審判決が認定した事実をそのまま認めたものである。

そこで、一審判決が認定した事実のううち、被告人の所得税の分についてみてみると、被告人は、昭和五五年の実際所得金額が三四三四万七五一五円であったのにかかわらず、総所得金額が八五二万五〇〇〇円で、これに対する所得税額が四五万五二〇〇円である旨の虚偽の確定申告をし、正規の所得税額一一五六万三五〇〇円と右申告税額との差額一一一〇万八三〇〇円を免れたものであるとし、その実際総所得金額と申告総所得金額との差額の二五八二万二五一五円の内訳は、(一)利子所得としての利子収入五七二万八八八五円、(二)雑所得としての貸金利息一九八八万三二五四円、(三)雑所得としての給付補填金二一万〇三七六円であるとされている(一審判決別紙(四)修正損益計算書)。

しかしながら、これらの所得の源泉たる預貯金、貸金等の大部分は、被告人に帰属しているものではなくて、福神商事株式会社(以下「福神商事」という)に帰属しているものであるからその利子収入、貸金利息等の被告人の各種の所得になるのではなくて、福神商事の所得とすべきものである。一審判決は、被告人に法律上納税義務のないものについて、あるものとしてこれを免れたとしているのであって、憲法第三〇条に違反しており、一審判決をそのまま公認している原判決もまた、憲法第三〇条に違反している。

二 被告人の五八・七・七付検面調書によると、福神商事が設立された昭和五二年七月ころには、被告人が個人時代からためた金が一億から一億四、五千万円あり(四項)、このうち九州相互銀行に六〇〇〇万円を仮名預金し、残りの数千万円が被告人の手許にあったことになるが、しかし、その一部は柴田秀哉その他に対する貸金となっていたり、物件の取得代金に払っていたものもあって、現実の金として残っていたものは多くはなかったこと(五項)、設立以後は、福神商事の脱税で生れた裏金と個人時代の裏金は一緒にしてどんぶり勘定にしており、ある時点での裏金を福神商事の分と被告人個人の分に分けることは不可能であること(六項)、裏金は物件の仕入代金などに使うことができないため、七〇〇〇万円前後の架空借入金を作る方法で、裏の金を表にして事業至近に使っていたが、裏の金はどんどん増えたこと(六項)、昭和五四年三月に裏金を調べたメモによると、九州相互銀行の六〇〇〇万円は別として、預金一億二八五〇万円、国債三〇〇〇万円、債権六〇〇〇万円があって、これらの総合計は二億七八五〇万円となるが、これに前述の約七〇〇〇万円の架空借入金を加えると、全部で三億五〇〇〇万円になり、福神商事設立時の個人財産がこれだけに増え、この増えた分が昭和五四年三月までの間に脱税でたまった裏の財産であること(七)、また、昭和五五年八月二九日ころ作成したメモによると、預金は全部で一億七三七二万円あり、この他に国債三〇〇〇万円、ワリコー一億五四〇〇万円、九州相互銀行の預金一億円、第一勧銀五反田支店の貸金庫に九七五〇万円があり、総合計で五億五五二二万円になるが、この他架空借入金約七〇〇〇万円があるので、それを含めると六億二〇〇〇万円以上になり、昭和五四年三月の時より増えているのは、福神商事の脱税による裏金と被告人の個人財産から生じた利息とか貸金利息のためであること(七項)、等が一応認められる。

もしもそうだとすると、福神商事が設立された昭和五二年七月当時、被告人が個人時代からためた金が一億四、五千万円あったとはいうものの、その額ははっきりしないうえ、九州相互銀行にあった六〇〇〇万円の仮名預金のほかには、貸金債権の形で存在していた分と、物件の取得代金に充当していた分があるものの、結局は福神商事の金とどんぶり勘定にして運用してきたものであって、個人財産と法人財産との極端な混合があるために、その区別ができない状態にあったものである。

三 ところで、大蔵事務官坂本良介作成の利子所得調査書によると、昭和五五年分の利子所得五、七二八、八八五円は、「大鷲清人に帰属する預金について、家族名義、架空名義を用いて非課税申告書を提出し、源泉課税を免れ、かつ、利子所得としての申告を怠っていた預金及び国債の利息収入」であって、その内訳は、預金利息四、三六三、八八五円、国債利息一、三六五、〇〇〇円となっている。そして、預金元本合計は一二八、〇九九、〇〇〇円、国債額面金額合計は二一、〇〇〇、〇〇〇円であるが、「確定方法の説明」欄によると、これらの資金源泉は「(イ)個人事業当時の蓄積(ロ)福神商事の不正資金(ハ)大鷲清人の給与・貸金関係収入に大別できると判断できる。

(イ)については昭和五二年六月以前に設定された預金を銀行調査の結果から抽出し個人帰属としたが、昭和五二年六月以後に新規設定された預金・有価証券について個々の資金源泉を検討するも(ロ)(ハ)の明瞭な区分はできなかった。しかし、預金の増加状況から判断して、(ロ)(ハ)の資金が混合されて保留されているのは事実であることから、大鷲清人及び家族名義を用いた預貯金・有価証券(なお仮名であっても(イ)に係る利息の入金口座及び貸金収入口座と判断できたものを含む)を大鷲清人の個人帰属と認定し、それ以外を福神商事(株)帰属とした。」とされている。

しかしながら、前記一のように、福神商事の財産と被告人個人の財産との区別が殆どできない状況の下においては、福神商設立時点たる昭和五二年六月以後に新規設立された預金等について、名義人の如何を基準にして被告人の個人帰属とするか福神商事の帰属とするかの区別をする合理性は、全くない、のである。昭和五五年中に被告人個人に帰属していたとされる預金元本と国債額面金額との合計は一億四九〇九万九〇〇〇円となるが、被告人の前記検面調書によると、被告人は、昭和五四年か五五年頃、裏金の中から九州の義弟緒方忠義に四〇〇〇万円を送って、九州相互銀行に仮名で定期預金にしてもらい、九州相互銀行には合計一億円の仮名頂金ができたが、後から送った四〇〇〇万円は多分会社の脱税で作った裏金だったのではないかと思う、としているものであり(六項)、このことから推しても、預金名義人が誰であるかはその帰属の問題とは関連がないのである。むしろ、(イ)の資金のみに限定して、昭和五二年六月以前に設定された預金の利息のみを被告人の所得と算定すべきである。

四 次に、前記坂本良介作成の貸金利息調査書によると、「大鷲清人が薄外で行っていた貸金にかかる利息収入」として、柴田秀哉から一八、九三〇、〇〇〇円、今井作治から九五三、二五四円があったことになっている。

柴田秀哉の検調書によると、同人は、昭和四九年五月被告人から既に借りていた一〇〇〇円を含めたものとして一四〇〇万円を借り、昭和五三年にはうち一〇〇〇万円を返済したが、その後も借入を続け、同年末には借入金額が三四〇〇万円に達したことが認められる。してみると、被告人が昭和五三年中に柴田に対して貸付けた金の源泉は、福神商事の裏金であった可能性が極めて大きいのである。また、前記貸金利息調査書によると、昭和五四年一二月末の柴田に対する貸付金残高は二九〇〇万円であったが、昭和五五年中には貸付と返済が何回も繰り返され、結局同年一二月末の貸付金残高は二九一六万円となっており、昭和五五年中の受取利息一八、九三〇、〇〇〇円は、主として同年中に貸付けた分の利息として支払われているのである。したがって、昭和五五年における柴田に対する貸付金の源泉は福神商事の裏金である可能性が極めて高く、そうだとすれば、その受取利息は福神商事の所得に帰属するべきのである。

また、前記貸金利息調査書によると、今井作治に対する八、〇〇〇、〇〇〇円の貸付は昭和五四年一二月になされたものであるから、この貸付金の源泉も福神商事の裏金に帰属している可能性が高く、その受取利息九五三、二五四円は福神商事の所得とみるべきものである。

五 被告人の所得税に関しては、以上のような問題が存していた。被告人が更正決定を受けた昭和五二年分から昭和五六年分までの所得税本税の合計額は六八、四九〇、六〇〇円、重加算税の合計額は二〇、六六六、一〇〇円であった。(弁護人作成の税額表)。

また、被告人が指導を受けていた恒栄会計事務所にも問題があった。原判決は「被告人は担当の会計事務所職員に対し金員を与えて懐柔工作を行い、申告内容に介入しにくいようにさせていた」としているが、事実は、馬場輝夫が検面調書で述べているようなものではなく、被告人としては主張したいことが山程あった。原審では、同会計事務所の所長である公認会計士上野輝夫が自らの責任もふまえたうえで一切の事実を明らかにすべく出廷したが、原審は証人として採用することをしなかった。

被告人は、一審でも、原審でも、すべての非は自らにあるとして多くを弁解せず、ひたすら恭順の意を表し続けている。原判決が指摘するように、「国の財産基盤である税収入を危くし国民の租税均衡負担の利益を侵害した程度も大きく、被告人の刑事責任は甚だ重い」ものではあるけれども、被告人は今後、重加算税、地方税のみならず、罰金も納付しなければならぬのであり、そのうえ刑務所に行くことになれば、社会的抹殺を余儀なくされるのである。脱税は国民の敵ではあるけれども、二度としないと固く誓っている者に対しては、国民は許してくれないものであろうか。

六 よって、原判決の破棄を求めるものである。

以上

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